天守閣とは戦国時代の大名による権力の誇示を目的に戦国時代の後期から、徳川3代将軍の家光による武家諸法度の発布までの江戸時代の初期にかけて流行した城の象徴的な高層建築を言う。天守閣の構造は望楼型と層塔型の2種類ある。形状的には破風の有無で区別されおり、天守の1階もしくは2階に入母屋破風があれば望楼型、なければ層塔型と定義されている。
明治時代以前に建設された天守閣は12城が現存する。この内、5城の天守閣が国宝に指定されている。
姫路城の天守閣の構造は5重6階地下1階の大天守1基と3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた連立式望楼型で、1601年に建設された。
彦根城の天守閣の構造は複合式望楼型3重3階地下1階で、1606年に建設された。松本城の天守閣の構造は層塔型5重6階の大天守と3重4階の乾小天守、2重の辰巳附櫓と月見櫓を付属させた複合連結式で、1615年に建設された。犬山城の天守閣の構造は複合式望楼型3重4階地下2階で、1601年に建設された。松江城の天守閣の構造は複合式望楼型5重6階で、1607年に建設された。
天守の重数は屋根の数、階数は内部の床の数を示している。また、天守の平面構成は独立式、複合式、連結式、連立式の4形式と、これらの組み合わせの複合連結式、複連結式の2形式がある。独立式は天守が単独で建っているもの、複合式は天守に付櫓を直接接続するもの、連結式は天守から渡り廊下や多聞櫓を小天守や櫓に渡したもの、連立式は複数の小天守や櫓と天守を渡櫓などで環状につなげたもの、複合連結式は複合式と連結式を組み合わせたもの、複連結式は天守に櫓や小天守2基以上を個別の多門櫓や橋によって連結したものを言う。